2020.04.24

日航機123便墜落からもうすぐ35年

1985年8月12日、午後6時羽田空港発大阪伊丹空港行の便が出発した。当機は午後7時前に到着予定だったが、午後6時24分、突如大きな爆発音が轟く。

何と、垂直尾翼が破損し、ハイドロプレッシャー(油圧)が操縦不可能に。コックピットの健闘虚しく、午後6時54分日航123便は墜落した。

翌日、群馬県上野村御巣鷹山の尾根で、無残にも砕け散った機体が発見された。乗客乗員524名中、奇跡的にも4名の方は生還した。

事故から約2年後の1987年、運輸省事故調査委員会が事故の原因を公表した。

調査報告書によると、機体の後部圧力障壁が破損し、そこから一気に空気が入り込み、それから垂直尾翼が破損していった。

後部圧力障壁が破損した原因は金属が劣化していたことであると報告されている。これは修理を担当していた会社のミスによるものだった。

るるぶ
御巣鷹の陰謀

事故の救助活動は翌日の朝から開始され、その遅れが指摘されていた。また、日本に駐在する米軍が、いちはやく事故現場を発見していたが救助は中止になった。その不可解な点から、陰謀の噂が出回った。

そのうちの一つに、核兵器を積んでいたのではないかという説がある。

日本は言うまでもなく非核三原則を厳守しているが、既に核兵器を所有しており、それを輸送していたのではないかという。

政府はJAL側には伝えておらず、貴重なものだけ積んであるとし、パイロットもベテランの自衛隊出身の方が選任された。

それを嗅ぎつけたアメリカ側が、123便を追尾して尾翼を破壊した。

緊急着陸を告げるも、横田基地では要請を断られるも、自衛隊機が誘導して御巣鷹上空まで来たところで、部隊は対空ミサイル・レッドアイで123便と追尾していた米軍機を撃墜した。

研究者によると、事故現場では航空機の他に、他の航空機やミサイルの残骸が発見されているとのこと。

あくまでも仮説に過ぎないが、これまた見過ごすことはできない。

海外旅行
間も無く事故から35年

御巣鷹山には慰霊碑があり、今尚ご遺族の方々や航空会社など、8月12日になると必ずこの御巣鷹山を訪れている。

また私自身、定期的に飛行機へと搭乗することもあり、昨夏に安全祈願と実際の状況を確認するために訪れた。

今後このような事故が起きないことを祈るばかりである。

参考

日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る

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