2020.04.26

チェルノブイリ視察記

こちらの記事を閲覧していただく前に '前回の記事' をご査収していただくことをオススメします。そうしていただくことで、より一層この記事を楽しめると思うので、何卒よろしくお願い致します。

そもそもチェルノブイリに興味を抱いたのは2011年の東日本大震災がきっかけである。当時、私は中学生で社会の仕組みや世界の情勢など、あらゆることが無知だった。

しかし、震災が起きて唯一の趣味と言える、テレビ観賞をしようにも全部震災に関する特番で、ふと目についたのがチェルノブイリを特集した番組であった。

すでに共産主義や冷戦については、名前だけ知っていた程度で、チェルノブイリなんて以ての外。でも、子供ながらに見ていたその光景は、まるでフィクション世界のようだった。実際に地球上でゴーストタウンはあるものかと、衝撃を受けたことを未だに覚えている。

そこから、基礎知識や予備知識をつけていくにつれて、ずっと心の片隅にチェルノブイリが残り続けていた。そして、ある程度海外にも慣れてきた頃、思い切ってウクライナへと向かったのである。

視察の大きな目的は写真撮影だ。実際に現場へ訪れて、4号炉や廃墟になってしまった街並みなど、チェルノブイリの現状をお伝えできればと。それに加えて、今まで調べてきた内容や場所を確認するのと同時に、少し語弊があるかもしれないが昔の好奇心に従うことにした。

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9月のチェルノブイリ

9月の朝はコートがないと厳しいと思いながら、キエフの街を歩いていた。すると、一台の乗用車を見つけた。この車でチェルノブイリに向かうのかと思うと、今までにない不安と期待が入り混じった。少し不適切ではあるものの、どこか楽しみであった。何せ、本当に訪れるとは自分でも思っていなかった。

キエフの中心部は道が狭く、人も多い。さすがウクライナの首都で大都市なだけある。そんな道路を30分もすると、景色は田舎の田園風景になっていく。途中、休憩でコンビニに寄ったが、朝は本当に寒い。車に残っていたかったが、この先のために水を買っておいたほうがいいと半ば強引に降車した。

そして、キエフ中心部から車で約2時間半、ついにチェルノブイリ区域のゲートまで来た。いくつか団体ツアーがいたが、殆どがヨーロッパの方々。

その雰囲気に何となく写真も撮ることなく(厳密には撮影禁止だったのか否か)、そのまま入域していった。

両脇は生い茂った森林で、果てしなく一直線に延びる道路を走っていく。

私は今チェルノブイリの地に入った。ふとそう思った瞬間、少し浮き足立った感覚を覚えた。まるで人の気配がない。それはそうだ、ここは33年前(訪れたのが2019年9月)から人が消えた場所なのだから。

しばらく車を走らせると、標識が一直線上に並んだ広場に到着した。規則正しく並んだ標識は、事故により廃れていった町の名前が書かれている。

2012年4月26日、小杉造園とウクライナの公共団体「チェルノブイリのアフガニスタン戦争退役軍人協会」が、互いの友好の証として桜の木を植えている。

日本もまた、東日本大震災によって福島第一原発が爆発事故を起こした。この事故はチェルノブイリ同様、国際原子力事象評価尺度(INES)で最も深刻なレベル7に定められた。この関連性は切っても切れないものにあたる。

この記念碑を見るや否や、ここに訪れた本来の目的とやらを思い出したような気がした。

そして、いよいよ4号炉の目の前まで向かうと聞き、ほんの少しだけ不安を感じた。

そんな気持ちで車に乗車し、無人の道をひたすら走ると、いくつか廃墟のような家屋が並んでいた。ガイドに「あそこは人が住んでいるんだ。」と流暢な英語で言われる。

薄々は聞いていたが、本当に住んでいるのかと衝撃が走った。チェルノブイリ区域で、どうやら自発的に帰郷し自給自足で生活している住民がおり、彼らはサマショール(帰郷者)と呼ばれている。

その場所を通り過ぎ、再び果てしなく伸びる一直線な道を進むと、事故直後に消火活動に参加した人々へ追悼を捧げるモニュメントが佇んでいた。

私はウクライナの他に存在する旧ソ連の国々を訪れたが、所々でイデオロギーさを誇示させるモニュメントが点在している。しかし、このモニュメントは訳が違う。

悲惨さを感じながら眺めていると、「この先を行くと幼稚園の廃墟があるから立ち寄ろう。」と。私は何も言わず車に乗り込んだ。

何分か進んで、森林の前で車を停めて、木々の道を歩いて進んでいく。奥に幼稚園らしき建物があるのを確認した。目の前まで来ると、ガイドは地面にガイガーカウンターを置いた。警告音と少しの緊張感により数値を写真に収め忘れたが、間違いなく高い数値が示されていた。

細心の注意を払いながら中へと入っていく。

入口の棚に教材として使われていたであろうステッカーが無造作に置かれていた。さらに奥へと進んでいくと、ベッドルームが。

何かの保管庫だったのか、大きい棚が傾いていた。

廃墟独特の雰囲気に終始呑まれながら、無意識にシャッターを押していた。

「時間がないから次の場所へ向かうよ。」とガイドに言われ、いよいよ4号炉へと向かうことになった。

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4号炉、そしてゴーストタウンへ

ガイドと世間話をしながら進んでいくと、遠目にカーブ状の何やら見覚えのある建物が。あれが4号炉だ。

一瞬だけ車から降りてファインダーを覗き込んだ。私が今目にしているのは、チェルノブイリ原子力発電所である。なぜだか、不思議な感覚に陥ってしまった。言葉では決して言い表せない初めての感覚である。

途中近くの川に寄る予定だったが、そこを飛ばして直接4号炉に向かってくれと頼んだ。そして、遂に目の前まで来てしまったのである。

目と鼻の先には爆発事故を起こした4号炉が、最近完成したシェルターに覆われた姿で存在している。事故を起こしたとは思えないほど、堂々とした存在感だ。

写真を早々と切り上げ、ガイドが定めたリミットの5分間、唯々カーブ状に曲がった大きなシェルターを見つめていた。できることなら、以前の石棺を眺めたかったが、それは現実的に不可能であった。しかし、シェルターはシェルターで異様な雰囲気を醸し出していた。

今回の目的の一つは果たせた。もし可能であれば、次に訪れる時は中にも入って見学したいところである。やがて5分間も過ぎ去り、これまた目的の一つである、次の場所へと向かっていった。

'次回の記事' では、チェルノブイリ原子力発電所の職員達が暮らしていた街プリピャチを撮影した様子をお届けする予定である。

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