2020.04.27

チェルノブイリのゴーストタウンへ

チェルノブイリの原発職員が暮らしていた街プリピャチ。ここは1970年2月4日チェルノブイリの建設に併せて、創られた計画都市である。当時は閉鎖都市となっており、地図上には存在していなかった。それに加えて、厳重な警備態勢が敷かれており、住民の殆どは原発職員や科学者など、エリート層の人々である。

ゴーストタウン「プリピャチ」

4号炉を後にした私は、次なる目的地「プリピャチ」の撮影に向かった。

プリピャチ市内に入るには必ずこの記念碑を通り過ぎる。この記念碑には、いくつかの献花が手向けられていた。

いよいよゴーストタウンへと入っていくことになる。映像や書物で見ていた世界が、すぐそこにある。この頃になると最早、緊張感はなくなっていた。どんな写真を撮影しようか考えるくらい、自分でも驚くくらい冷静である。

こうして、私はプリピャチ市内に入っていった。

本当に街だったのかと思うくらい自然が豊かである。どうやらメインストリートを通っているらしいが、ここでさえ今は鬱蒼とした森林になっており、街の面影はまるで消え去ったかの如く残っていない。そんな道を走っていくと、木々に隠れた廃墟が目の前に現れた。

ここは小学校だったらしい。入口という入口は見当たらなく、開けた場所から入っていった。すると、棚には1985年(事故発生から1年前)のカレンダーが置いてあった

適当に探索していると、辺り一面ガスマスクが散乱している場所があった。ファインダーから覗く光景は、この世のものとは思えなかった。しかし、これもまた真実の姿であるのは間違いない。

奥にはガラクタが無造作に置かれていた。

ガイドは引き返そうとしたが、さらに奥に進みたいと告げた。少しだけ時間が押しているため、先を急ぎたいとのことだが、どうしてもこの先が気になってしょうがなかった。

そして、進んでみると私の読み通り、そこにはどこか寂しく美しい光景が広がっていた。

時々、廃墟について思う所があり、こういった場所を訪れると尚更強く思う。その思いとやらを、敢えてここで述べてさせていただこうと思う。

普通であれば、廃墟は決して肯定されるような存在ではない。如何せん、そこには物的価値、経済的価値など様々な側面において、無駄な存在だからである。

しかし、廃墟と呼べる建物は管理されているかどうかに限らず、この世の中には無数に存在している。その矛盾さが、廃墟の存在感を際立たせていると私は思う。

その廃墟の存在はまた、ある意味で現実世界の結果としても捉えることができるはずである。どんな理由があったにしろ、今そこには廃れた一つの建物が存在しているのだから。

だから、一方的に悲観さだけで捉えるのではなく、人類の一つの結果、或いはその儚さの中にある美しさを意識してみると、また違った廃墟の在り方が浮き彫りになってくるはずだ。

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私は小学校を後にし、バスィエン屋内プール場という、これまた廃墟へと向かった。

当時は秘密都市ということもあり、観光資源や大きな娯楽施設はなかったため、子供達の遊ぶ場所はこうしたプールやバスケットボールなどがメインだった。

この廃墟も撮影し終えて、私はプリピャチの所謂市街地に向けて移動していった。

着くや否や、周囲には高層アパートや文化会館が佇立していた。市民の面影を残しつつも、やはりここは正真正銘のゴーストタウンである。

ここからは周囲を歩いて回ることに。それはそうと、東日本大震災の影響で知ることになったプリピャチに私は立っている。ふと冷静になってみると、本当に不思議な感覚に陥った。実感がないと言えば嘘にはなるが、かといって地に足が着いているとも言えない。言葉で表現できないことがあるものかと。

この観覧車はプリピャチ遊園地で人々に楽しんでもらう予定だった。1986年5月1日、世界各地で行われる労働者の祭典メーデーに合わせて開園するはずだった。だが、4月26日に事故が起こり人々に使われることなく放置されていった。

ゴーカートもまた人知れず役目を果たすことなく廃れていった。

私はその後もプリピャチを周り続けて、終始撮影を行っていた。しかし、遊園地を撮影し終えた直後に少しだけ達成感を感じた。どうやら目的は果たせたようだ。この後も撮影を敢行していたが、視察とはまた別の、ある意味私自身の撮影で視察とは目的が違ったため、ここでは割愛させていただこう。

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視察を終えて

一先ず、今回の目的は果たせた。まず4号炉のシェルターは、約100年間石棺を封じ込めることができると言われているが、実際に目にして、その規模の大きさに比例するかのように見事に完成されていた。大金が注ぎ込まれたのが目に見えて分かる。

100年間封じ込めるとのことだが、逆に言えば最低でも廃炉作業が100年はかかるということである。それだけの長い間、この状態を維持できるかどうか、それは時が経たなくては分からない。しかし、私が思っていたよりも精巧に建設されていたので、期待はできるか。

それよりも、気になるのが100年後はどうするのかという点。無論、気が早過ぎると言われても仕方がないが、大袈裟に言えば原発の廃炉や解体作業は来世まで続く問題である。さらに、既に事故から34年経過している今も、問題は山積みであることを考えると、なるべく早く次なる対策を講じることが必要であろう。

プリピャチは本当にゴーストタウンだった。まず、メインストリートと言われる道路は完全に森林化していた。道路も整備された道路とは決して言えないほどデコボコしていた。その森林を抜けると小学校の廃墟があったり、他の廃墟も点在していた。

人が30年以上いなくなると、ここまで自然回帰するとは思わなかった。これはでも、この場所だけの話ではなく、フクシマもなり兼ねない姿である。

実際に訪れて、廃墟では言葉を失う瞬間もあった。しかし、それを上回る儚さと美しさを感じ取れ、様式美としての廃墟を撮影することができた。その点では、視察に訪れた意義があったと思える。

まだまだ訪れたかったスポットはあったが、個人旅行者が入るには限界がある。とは言え、非常に有意義な視察だった。これからも私が気になる場所に訪れていこうと思う。

'前回の記事' と合わせて、閲覧していただきありがとうございます。これからもサイトを更新して参りますので、是非拡散のほどよろしくお願い致します。

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